ジャッキー・チェンのおかげです。クォーター香港人の語学ヲタクの日々

成龍好きから、何故かマルチリンガルになった私の日々の外国語格闘記と外国語に対する思いをつらつら書き綴っています。

対等

アメリカの大学に留学していた時、日本人だからと言って、できなくて当たり前なんたら思われた事もないし、そういう扱いを受けた事もなく、アメリカ人の学生と対等に扱われた。

当たり前だよね。

大学で勉強すると言う事は、そう言う事。

勉強についていかれなかったら、辞めるしかない。

変に依怙贔屓されなくて、良かった。

もし、されていたら、私自身、勉強ができなくても大丈夫なんだと勘違いしていたかも知れない。

甘さに慣れたら、努力はしなくなると思う。


勉強ではないけれど、21歳で父の急死に伴い父の会社を経営しなければならなくなった。

誰も、21歳だからとか、女の子だからと言って、甘やかしてくれなかった。

だからこそ、私も努力出来たんだと思う。

もし、21歳だから仕方ないとか、女の子だからこの程度でいいなんて言われたら、努力出来なかったかも。


そもそも、この人だからこのくらいでも良いなんて、対等に思われていない証拠。

それを良しとするかどうかは一人一人違うと思うけれど、私なら我慢ならない。

それって、差別だと思う。

上から目線だとも思う。

同じ立場、同じクラスなら、1人だけ甘くてされるのは、その程度の能力しかないと思われているからだよね。

それは悔しい!