ジャッキー・チェンのおかげです。クォーター香港人の語学ヲタクの日々

成龍好きから、何故かマルチリンガルになった私の日々の外国語格闘記と外国語に対する思いをつらつら書き綴っています。

これで何度目?

莉莉

韓国語を再開します!

何度目だろう?


韓流ブームの遥か昔、90年代から韓国語には触れている。


韓国系アメリカ人の友達がいた。

子供の頃から、朝鮮、韓国に興味があり、いつか朝鮮、韓国語を習いたかった私は、まずはその彼から習った。

アメリカ生まれ、アメリカ育ちだった彼は、喋れても読み書きはできなかった。

だから、私も読み書きは出来ないままだった。

帰国してからも、まずは広東語を勉強したくて、韓国語はそのままだった。

費用的な問題と他の言語を同時に勉強する余裕がなかったから。

NHKテレビは時々、観ていた。


10年から広東語を勉強して、他の言語を始めても大丈夫だと思い、在日韓国YMCAに通い始めた。土曜の午後のクラスだった。

ハングルから勉強。

他の学校やカルチャーセンターで勉強した人達もいて、そこよりもここは厳しいし、高度なものをやっていると言っていた。

初めて韓国語を習う私は、そんなもんかと思っていた。

1年通ったけれど、土曜は通えなくなり、他に良いと思える韓国語の学校もなく、辞めた。

そのまま、韓国語を勉強するモチベーションがなくなり、韓国語を勉強しないまま、10年が経った。


やっぱり、韓国語が出来るようになりたいと思い、再び在日韓国YMCAへ。

同じ先生だった!先生もおぼえていらっしゃった。

そこで2年勉強して、更に勉強しようと思ったら、祖母が倒れた。

その前に祖父が倒れ、3年入院の末、他界した。

寝たきり老人は、悪くなる事はあっても良くはならない。

ずっと祖父母と同居していたので、入院している祖父の世話は辛かった。

でも、祖母がいたから、なんとか2人で励ましあえたので乗り越えられた。

妹達もいた。

でも、祖母が倒れたら、妹達は来ないどころか、入院の保証人にもなってくれなかった。

仕事もあり、祖母の世話もしないといけない。

寝たきり老人は文句も言えないから、お見舞いに来ないと、看護師や介護士の対応が悪いのは、祖父の入院中に他の患者さんで見ていたから。

精神的にも肉体的にも限界で、仕事と祖母の世話以外できなかった。

そんな生活が5年続き、祖母が他界した。


燃え尽き症候群と言うか、疲れた心と身体を癒やすのに、数年、かかった。

そして、元気になって、語学を再開した。


韓国語も再開。

でも、忘れていたから、ハングルから。

3回目のハングル。

勉強しないと忘れる。

でも、人間は忘れる動物。

忘れたら思い出す努力をすればいいだけ!


成均館大学と延世大学の語学堂の3週間コースにも参加した。


韓国語は一生、勉強しようと思っていたら、今度は反日!!

前々からあったけど、今回は酷かった。

ソウルで韓国の友人と飲んでいて、日本語で話していたら、差別用語を言われ、殴られた。

男性の友達とその人が殴り合いの喧嘩をして、警察に行ったけれど、その殴った人は弁護士で、言い訳がうまかったからか、私が日本人だったからか、喧嘩両成敗になり、私への謝罪は一切なかった。


その頃は、プライベートレッスンを受けていた。

チケット制だったので、それを使い切って辞めた。

韓国語を習う目的は、韓国人と対話したいから。

でも、いきなり殴ってこられては対話出来ない。

日本人だと言う事は変えられないし、私は日本人である事に誇りを持っている!


そして、4ヶ月。

やっぱり韓国語がもっともっと出来るようになりたい!

いろいろな学校に体験レッスンに行った。


そして、来週から再開します!

何度目?(爆笑)

でも、挫折したわけではないし、まだ韓国語は忘れていないから大丈夫^ - ^


韓国語は、そんな風に辞めても辞めても、また再開したくなる。



画像は、2016年1月10日、韓国、江華島。

トイレの言い方が独特なので、画像に撮りました。

普通の言い方はこの案内板の下に書いてあります。