褒められるうちは、まだまだ

日本語話者に向かって、「日本語が上手ですね。」なんて、誰も言わない。
母国語や母語なんだから当たり前。
美しい言葉を話すと褒められるかも知れないけれど、流暢さでは褒められない。
それと同じで、外国語も褒められるうちはまだまだだと10代の頃に聞いてそう言うものかと思っていたら、アメリカ留学中、最初は褒められたけど、だんだん褒められなくなった。英語で会話するのが当たり前と思われたんだろうな。
だから、外国語を褒められると、凹む。
まだまだじゃないかと。
ある人は、外国語に興味のない、その言語を知らない人達の前で間違えだらけの外国語を話す。
その人の実力を知っている私は、ビックリしちゃうけど。
もし、周りにその言語話者とか、出来る人がいたら、何が言いたいのかと思われるレベル。
その人も、出来る人の前では話さない。
でも、全く知らない人達の前で出鱈目を話して、「凄い!」と褒められて、ドヤ顔してる(苦笑)
その言語を知らない人から褒められて、何が嬉しいんだろう?
何故、自分より実力のある人達の前では、一言も話さないの?
自分が優位に立ちたいのかな?
そう言う態度って、隠してても出ちゃうのになあ。
語学が話せる事は一概に凄い事は言えない。
その国では、子供だって話してるから。
話す内容とか、相手への配慮とかって大切だと思う。
それよりもなによりも、何のために語学を勉強するのか?
私はそれに尽きると思っている。
他人目線の物は、何事も上達しない。
だって、自分以外の人は、自分の人生からいなくなるかも知れない。
自分の為に努力するから、続けられるんだよ。
褒めてもらうのではなく、自分で自分を褒める。
だって、自分とは生まれてから死ぬまでずっと一緒。
どんな努力をしたかを全て知っているのも自分だけ。
画像は、2015年7月3日、ウクライナ、愛のトンネルにて。
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