ジャッキー・チェンのおかげです。クォーター香港人の語学ヲタクの日々

成龍好きから、何故かマルチリンガルになった私の日々の外国語格闘記と外国語に対する思いをつらつら書き綴っています。

天才か基地外

西洋式でもインド式でも、私のホロスコープは、大器晩成で天才か基地外。

共通点は、どちらも理解者がいない。

小さい頃から三姉妹だけど、小さい頃なら妹達とは共通点がなかった。

三姉妹ともに、アメリカや東南アジアに連れて行ってもらったけれど、妹達はほとんど海外に興味なし。

私がマルチリンガルになった事に対して、変わってると思ってる。

英才教育を受けて、両親は私立に行かせたかったけど、同居していた祖父母が許さず、ど田舎で高校まで過ごした。

短大も県内だったし、国文科からアメリカの大学に行く事にしてたので、おかしいと思われた。

私としては、世界を相手にするには、自分の国、言葉や文化を知るのは当たり前なんどけどなあ。

アメリカに行けば行ったで、ESLでも大学でも

同じ日本人から変わってると言って、仲間はずれにされた。

ESLでは、ずっと同じ寮の日本人に仲間はずれにされて、くだらないと思って、そこの大学生と仲良くなり、クリスマスコンサートのメンバーになったら、いきなり近づいてきて、ろくに練習もしないのにコンサートにだけ出て、歌わない日本人もいたなあ。

そう言う人達は、本当に理解できない。


でも、人生の後半戦になって思う。自分も含め、人を完全に理解するなんて無理。

理解したいと思えるかどうかなんだと思う。 

一緒に連んでいるのは、自分と似ている、もしくは同じだと思っているか、錯覚しているからだと思う。 

「そんな人だと思わなかった。」といって、喧嘩別れしたり、虐めたり。

そもそも「思う」は自分で思った事で、真実でもなけりゃ、強要されたわけでもないのにね。 人は自分と違うから面白い。

 違うから、理解してみたい。

 そんな事をアメリカ留学や語学の勉強を通じて、実感している。

日本がダメでも、世界がある!

そうやって、死にそうな孤独を乗り越えてきた。

それでも、天才か基地外の孤独は埋められない時があって、スケジュールを埋めて、勉強する。