お里が知れる
ら抜き言葉は気になる。
例えば、切る事ができる事を切れると言うけれど、着る事が出来る事は着られる。着れるじゃないんだよね。
これか正しく言えないと、「切る」と「着る」の活用を間違える。
これは外国人だけではなく、日本語が母国語や母語の子供達にも言えるそうだ。
子供達は家庭で使われている言葉を当たり前として育つので、その子の言葉でその家族の理性とかがわかってしまう。お里が知れると言う事。
親や養育者が乱暴な言葉遣いをしていたら、子供にとってそれが当たり前だから、外でもそんな言葉遣いをしてしまう。
でも、言葉遣いや教養は気がつけばいくらでも自分で学んで直せるから、自分の努力次第。
正しく敬語を使えないとから抜き言葉を使っていて、自分の母国語や母語も正しく使えないのに、外国語習得は無理だと思うし、実際、そう言う人達を見てきた。
外国語を学べば学ぶほど、母国語や母語をきちんとしたいと思う人々は世界中のあちこちで見てきたし、私も日本の短大はあえて国文学科にして、日本の言葉や文化などを学び、日本語教師の資格も取った。
全てはマルチリンガルになって、世界中に友達を作るために!
ら抜き言葉は、その人の問題だから、よっぽどの事がない限り、何も言わない。
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