ジャッキー・チェンのおかげです。クォーター香港人の語学ヲタクの日々

成龍好きから、何故かマルチリンガルになった私の日々の外国語格闘記と外国語に対する思いをつらつら書き綴っています。

43年目に入ります!

1980年8月。今から42年前の8月。

その前から海外旅行に何回も行っていた父の養父母が、私達姉妹をアメリカのサンフランシスコ、ロサンゼルス、グランドキャニオン、ラスベガス、ハワイは連れて行ってくれた。JALバックと言う恐ろしく高いツアーだったし、海外旅行に行く人も少なかった時代。

当時、中3だった私はジャッキー・チェンが大好きで、廣東語や韓国語が勉強したくてたまらなくてさ、映画なんか全く興味がなくて、勉強をまともにしていなかった。

でも、アメリカに行ってみて、いろいろな人種の人達、国の人達が英語を話しているのを見て、世界一簡単な言語かも知れないと感じた。

英語がマスターできなかったら、廣東語も韓国語もマスターできない!

それに英語は義務教育だから、中高の6年間、学校で教えてもらえる。

6年かけて、マスターできなかったら、私は語学に向いていないと考えた。

そして、アメリカの大学に行きたいと、父の養父母と両親に言ったら、「お姉ちゃんにお金を出したら、2人の妹達も行きたいと言うはずだよ。うちにはそんなお金はないから、本気なら自分でお金を貯めて、ちゃんと勉強しなさい!」と言われた。

多分、子供の一時的な気まぐれだろうから、きつく言っておけばあきらめると思ったのかも。

でも、私はそれで返って心に火がつき、お金を貯め、勉強方法も編み出し、8年後にアメリカの大学に編入した。日本の教育の学費は出してやると言われたので、短大で国文学を専攻した。

国語、古典、漢文が大好きで、英語より成績が良かったし、何よりも日本語の文法をきちんと知り、語彙が豊富で無いと外国語はきちんと身につかないと、いろいろな本を読んで思ったから。

そして、あれから42年経ち、毎日欠かさず英語の勉強を続けている。

今はそれに加えて、中国語、韓国語、スペイン語、国際手話、日本手話も。

趣味だから、楽しく、義務にならないように。

今はそんな感じです。

43年に入りました!