ジャッキー・チェンのおかげです。クォーター香港人の語学ヲタクの日々

成龍好きから、何故かマルチリンガルになった私の日々の外国語格闘記と外国語に対する思いをつらつら書き綴っています。

自分で考える力

言語を理解する為には、文化や風習、宗教もわか、ないとダメだと思い、関連本を読むだけでなく、日本の短大とアメリカの大学はプロテスタントでキリスト教関連の授業をいろいろとったし、11歳から23歳までプロテスタントの教会に通ったし、カトリックの教会と信者講座、神道では某神社で巫女修行し、モスクにも通ってました。 

巡礼団として、100周年のルルドにも行きました。

人生を謳歌してます。


さて、昨日、ふと踏み絵が思い浮かびました。

プロテスタントなら、偶像崇拝禁止だから、踏み絵をしても意味がない。カトリックだったから、効果があったんだろうなあと思いつつも、私が宣教師だったら、自分の命を守る為に、踏んじゃえ!って教えただろうなあ。

紙や像は神様じゃないから、自分を守る為に踏んでも、神様はバチを当てないよと。

踏まなければ殺されるのをわかってて、踏むのは自殺みたいなものでしょ?自殺はキリスト教では禁じられているのに。

農民は、命令されて、それに従う日々だったから、自分で考える習慣がなかったんだろうなあ。

宣教師もそうだったんだろうなあ。

本当に信仰しているのなら、殉教するよりも生きて布教活動をする方がいいんじゃないのかな?

と、無宗教の私は思っちゃう。

なんでもかんでも、自分で考えるクセをつけないと、自己判断できなくなるなあと思う。

自分にとって、正しい事は自分にしかわからない。

勉強も人生も同じです。

考える練習は毎日できて、無料!

やらない手はないですよ。