ジャッキー・チェンのおかげです。クォーター香港人の語学ヲタクの日々

成龍好きから、何故かマルチリンガルになった私の日々の外国語格闘記と外国語に対する思いをつらつら書き綴っています。

出る杭を叩く人達

そんな暇があれば、自分を磨けばいいのにね。

誰にでも他の人より優れた所はある。それを磨けばいいのにね。

他者と比べて、落ち込んだり、マウントしたり。

そんな他人軸で生きていても、他人はいつかいなくなるのにね。


時間だけは平等。 

だったら、自分に使えばいいのに。


人は自分に手が届くと思うと、足を引っ張るモノ。

届かなければ、崇めるか恐る。

そんなモンだよ。


長いと思っても、短いのが人生。

責任をとってくれない他者の言いがかりは無視して、自分の道を生きた方がいい。


実るほど頭を垂れる稲穂かな

「私、〇〇料理を極めたから、✖️✖️料理を習うわ!」といつもマウントしてくる女性に言われた時に、耳を疑った、

随分、安易に極めると言うんだなあと。

きっとその人にとって、学ぶという事はほんの触りなんだろうなあ。

マクロビオテックスクールの先輩には、一からマクロビオテックレストランをたちあげて、人気店になった人もいる。

主婦だったのに、あまりの料理のおいしさにレシピ本を出したり、レストランを始めた人もいる。

その人達は、自分の知識と技術でお金を稼いでいるプロだ。

だけど、極めたなんて思ってない。

その証拠に、今も学び続けている。

某語学の授業で、人間国宝とクラスメイトになった事もある。

その人も、一生勉強だとおっしゃっていた。


素人が、極めたなんておこがましいと思うし、人はそう思ったら、もう勉強しないと思う。

そこで成長しなくなる。


プロだからこそ、日々、努力し続けてい?んだろうなあ。

私ももういいと思わず、勉強しつづけようと改めて思った。

成長しないと言う事は、現状維持ではなく、後退だからね。


画像は、本日習ったアーユルヴェーダ料理、春の献立。

もちろん理論も習ってます!


マリア⚡︎カラスの言葉

「歌に関して言えば、私たちはみんな死ぬまで、学生なのです」

私は長い事、声楽を習っていた。フィレンツェに語学と声楽の留学までしたけれど、祖父母の介護を8年もしていたら、辛くて辛くて、悲しい歌が歌えなくなったので、辞めた。辞めたくなかったけど、歌えなくなったから仕方なく。

祖父母が逝って、介護から解放されて、10年以上経ったが、全盛期のようには声が出ず、アリアはちゃんと歌えない。

そう言う私が、尊敬している1人が、マリア・カラス。彼女がギリシャ出身だったのと、ギリシャに行ったら、ギリシャ語が読めたので、ギリシャ語を勉強していた。

αはアルファだから、A。

Ωはオメガだから、O。

Πはパイだから、P。

そんな風に当てはめたら、きっと誰でも読めると思う。

語学は自分の持っている知識を総動員したら、何とかなる事もある!

で、彼女の言葉。

私は、歌を他の単語に言い換えてる。

語学だって、一緒、学生のつもりで学び続ける。 

何故なら、言葉は生き物。死語があれば、新しい言葉もあるから。

最近、発酵マイスター養成講座を受講してきた。

来月の試験と課題のペーパーを提出し、合格点が取れれば、無事に資格が取れる。

その発酵だって、資格が取れても勉強!!

今年は、すでに国家試験に合格し、看取り士の資格も取り、心理学の資格もいくつか取った。

でも、取ってからも勉強!!

新しい事を学べるのも、今、好きで学んでいるものをより深く知る事が出来るのも嬉しい!