自己満足のボランティア
インドのコルカタのマザーテレサの所で、ボランティアをした事がある。
孤児院でボランティアをしたのだが、ここの子供達はヨーロッパに里子に行く事が多いので、英語で接する。
だから、英語が出来る人がボランティアをする事になっている。
毎週、ボランティア登録会があり、日本人が多いので、日本人の登録には同じ日本人ボランティアが通訳につく。
それなのに、孤児院に英語の出来ない日本人ボランティアがいた!!
もしかしたら、登録会に参加しないで、ボランティアを始めたのかも。
彼女達は、英語が出来ないから子供を相手をする事は許されず、雑用をしていた。
その事に対して、文句を言ってきたけれど、そもそもボランティアって誰の為?
そして、どんな所でボランティアするにしろ、働かにしろ、ルールがある。
多くのボランティアは、ヨーロッパの年金生活者で、最も大変な「死を待つ人の家」で奉仕していた。
そう!「死を待つ人の家」でボランティアしたい人が一番多くて、長期滞在する人から優先順位があった。
毎日毎日、そこでは人が亡くなり、その度にシーツの洗濯をしたり、死体をを運んだり、ベットが足りなくて床に寝ている人達を移動させたと、肉体労働が多いのに。
それでも、ヨーロッパの高齢者達は、自分が生かされたから、今度は誰かの為に役に立ちたいと、長期に渡って、そこで働く。
片や、自分の能力不足を棚に上げ、文句を言う日本の若者。
なんだか悲しくなった。
何年も前の話。
画像は、2014年7月21日、フランス、モンサンミッシェル。
迷える子羊に愛の手を!!
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