ジャッキー・チェンのおかげです。クォーター香港人の語学ヲタクの日々

成龍好きから、何故かマルチリンガルになった私の日々の外国語格闘記と外国語に対する思いをつらつら書き綴っています。

在日韓国YMCA

韓国系アメリカ人と付き合っていて、彼から韓国語を習っていたから、喋れるし聞き取れるのに、読み書きは全く出来なかった。

彼はアメリカ人だったから、韓国語は自宅で使ったいたけれど、読み書きは知らなかったから。


韓国語は連音化現象がたくさんあって、書いてあるものをその通りに読む事は、ほとんどない。

日本語も書いてあるものを、そのまま、読まない言葉もある。

例えば、「おとうさん」と書いても、「おとーさん」と言う。

韓国語は、もっと複雑で、でも、ルールがあるので、それを理解すれば簡単!


まずは、ハングルの読み書きを理解する為に、韓国語を習おうと決めて、この学校にした。

韓流ブームの遥か昔だったから、韓国語の学校もそんなに多くなかったし、費用も高かったせいもあった。


1年通って、まずは祖父が倒れ、次に祖母が倒れたので、韓国語の勉強は中断した。

2人が他界して、まず、私が最初にした事は、この在日韓国YMCAで、また韓国語を学ぶ事だった。

10年近く経っていて、韓流ブームだったので、クラスメイトはたくさんいた。

先生は、最初に習った時と同じ先生で、復帰した私を喜んで迎えてくれた。

無事に1年目を終え、2年目になり、他で習っていた人達も参加するようになり、ここのレベルの高さを知った。

道理で、毎回の授業の内容、復習、宿題が大変だったはずだ!

でも、2年、やり遂げた事は、私の大きな力になった。


開講曜日と時間帯が合わなくなり、2年間しか通えなかったけれど、スケジュールが合えば、ずっと通い続けたい所。

厳しいけれど、そう言う授業をするには、先生のレベルも高くないと無理なんです。

今はあちこちに韓国語の学校が多くて、アルバイトの先生も多く、ただ韓国語が話せるだけの、日本人に対して、効果的な韓国語の勉強の仕方を教えられない先生達も多い。

ただ通うか、身につけるかは本人の努力と先生の指導の2つが必要不可欠だと思う。


あれから、他の学校に通ったけれど、私にとってはここがベスト!


画像は、2015年12月15日の韓国の慶向北道。

韓国へは、1992年から数えきれないくらい通ってます。