殺されていたかも知れません
今から18年前、離婚した。
理由は、家庭内暴力。
8年間に渡る結婚生活のほとんどが力と言葉による暴力だった。
原因は、逆玉になった歳下の元夫を私の経営していた会社の古株の従業員とその愛人のパートがいびった事と、それを見て見ぬ振りをしたどころか、一緒にいびったり祖父母のせい。
逃げ場のなかった元夫は、唯一の味方である私に暴力を振るう事で、鬱憤ばらしをしていたのだろう。
不妊症にもなり、辛い治療をして、三姉妹同じ年の同じ月に出産のはずが、私1人だけ原因不明の流産をした。
その時に、思わず「良かった」と言った祖母を、亡くなった今でも私は許せない!
流産をして、泣いていた私を「うるさい」と言って、半殺しの目に遭わせた元夫。
「自業自得だ!」と言った祖父母。
本当の事を言ったのに、「そんなに同情して欲しいの?」と言って離れていった友達。
家庭内暴力において、だいたい加害者は、暴力を振るうようには見えない。
当時DV法もないから、警察は相手にしてくれず、弁護士もカウンセラーも、私の我慢が足りないからだと言った。
私の方が5歳年上で、彼が望んで婿養子になったから、彼らには私がさぞ甘やかされて育ったお嬢様に映ったのだろう。
21歳から両親がいないなんて、想像できなかったんだろなあ。
あちこちから、私が悪いと言われると、だんだんそうじゃないかと思ってしまう。
生きていながら死んでいるような日々を過ごしていた。
当時は携帯もなく、メールのやり取りなんてできないけれど、アメリカ留学の時に友達になったアメリカ人や海外ペンパルがいた。
彼らに私の状況を書いたら、私は悪くないと言う事を皆が言ってくれて、DV関係の資料を送ってくれた。
前夫の両親も私の両親も離婚していたので、私は絶対に離婚しないと公言していた。
それで、前夫は離婚用紙に署名捺印して、「俺はいつでも離婚してやる!」と言って脅かしていた。
私が離婚しないと信じていたから。
私も、そう思っていた。
でも、外国人の友達の言葉で目が覚めた!
「私は悪くない!」
それで、前夫が机の引き出しに入れてあった離婚届をもって、離婚した。
もし、外国人の友達がいなかったら、私は殺されていたかも知れない。
当時、友達だったと信じていた日本人は、私の話を嘘だと決めつけて、信じてくれなかった。
あれから、DVについて、いろいろ勉強し、カウンセリングもするようになった。
人は傷つけられると、立ち直るまでに傷つけられた倍以上の年数がかかるらしい。
離婚して、18年。
結婚していたのは、8年間だから、倍以上の年月が過ぎたが、まだまだ傷は癒えない。
何故なら、私がDVで離婚した事を知ると、必ず日本人だけが、ニヤニヤしながら、「貴女が、殴っていたのか?」と聞く。
天罰が下れと本気で思う。
殴られている方だけではなく、殴っている方も痛いんだよ?
日本には被害者を救うカウンセリングやシステムがあるけれど、加害者に対しては皆無に等しい。
加害者だって、本当に殴りたくて殴っているわけではないのは、いろいろ学んでわかった。
元夫の場合は、父親からの暴力が根底にあった。
ニヤニヤ笑って私を嘲笑った人達の大切なの家族が、もし、私と同じように愛する人から8年間、力と言葉の暴力を受け続けても、ニヤニヤ笑って、自分の愛する人に、「あなたが殴っていたの?」と聞けますか?
残念な事に、こんな愚かな質問をしてきたのは、皆、外国語のグループレッスンのクラスメイト達だけである。
もちろん、私はそのレッスンはやめた。
画像は、2016年1月16日、タヒチ、モーレア島、インターコンチネンタルホテルの水上コテージからの風景。
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